第5話 その1 支店内異動
上京区での苦闘の1年間はあっという間に過ぎた。2年目は、お客様へのお役立ち活動の成果が表れ、多くの他社ダウンが達成でき、支店内表彰も受けた。来年度はさらなる成果をと意気込んでいた矢先に、支店の隣のチームへの異動が内示された。豊かな土壌となった上京区を離れることには、がっかりしたが、この異動は関根の仕事が支店内で評価されてきた証でもあった。
異動先は、同期のトップセールス横山がいたチームだ。横山は入れ替わりに大手チームに異動となり、関根は横山のお客様を担当することになる。同期とは言え、エースの横山の後釜ということは、京都支店では抜擢という位置づけだった。
異動が内示された段階で、まず関根は上京区のお客様に異動の挨拶を行った。関根が新規開拓したお客様からは、多くの励ましとねぎらいの言葉をいただいた。ありがたかった。時期は10月後半、京都は爽やかな季節だ。関根は、足取りも軽くお客様を訪問していった。
意外な反応もあった。それは「見込み客として何度も通ったがついに心開かなかったな」と関根が思っていたお客様だった。堀川通沿いの帯問屋:山形商事だった。
挨拶回りをしながら、堀川通を通ると、山形商事の看板が目に入った。どうせいつもと同じ反応だから、ここは、挨拶はいいかなと思いつつも「まあ、通りがかりだし、すぐ終わるから行くだけ行ってみるか」と思い直し、エントランスに入り受付に声をかけた。
「こんにちは。ヤマトビジネスマシンの関根です。総務の田中課長はいらっしゃいますか」と声をかけると、すっかりなじみになっていた受付嬢は、「ちょっとお待ちください。呼んでまいります」と笑顔で返してくれた。「ここの受付の方にもお世話になったな。夏の暑い日なんか、冷たいお茶までだしてくれたっけな」と感慨に浸っていると、田中課長がいつもの仏頂面で出てきた。
挨拶を済ますと関根は早速切り出した。「田中課長、いつもお忙しいとことをお邪魔ばかりして、すみませんでした。ご迷惑をおかけしましたが、こんど担当地区が変わることになり、今日は最後の挨拶に来ました」。
田中課長は、ちょっと驚いたようだったが、仏頂面が消え、真剣な顔になった。「そうなのか。残念だな。私も君の熱心さには感心していました。繊維業界の記事とか、役に立ちましたよ」と笑みを浮かべながら話してくれたのだ。
関根は、びっくりするとともにありがたさが湧き上がってきた。「田中課長からそう言っていただけるなんて、わたしこそ光栄です。ありがとうございます」
田中課長からは「そろそろ、うちのコピー機も変え頃と思っていたので、関根君に声をかけようかと思っていました」という発言も出てきた。
関根は、残念というより嬉しさが勝った。「自分のお役立ち活動は評価されていたんだ。苦しかった1年は無駄じゃなかった」と喜びと感謝の念が沸き起こった。
「私は異動しますが、同じ支店内ですし、後任の営業も真面目な男ですので、改めてご紹介にあがります。いつ頃に切り替えるお考えでしょうか」と尋ねると、「急いでいるわけじゃないけど、年内には」との返事だ。来週の月曜日に後任と引き継ぎに来ることを約束して山形商事を後にした。
堀川通りを歩きながら、関根はつくづくと思った。「人の心の変化は読み取れないもんだな。まさか山形商事のあの田中課長があんなふうに思っていたなんて・・・。でもお客様のことを思った活動は評価されるんだな」
感慨深い瞬間だった。
≪Release Date 2022/10/08≫