第1話 その2 お試し
次の週からの2週間の研修は、いよいよ本格的な営業マンとしての技術と知識を身につける内容となった。大変だったのは、小型コピー機の商品説明のA4原稿を4ページ分一文一句丸暗記することだ。入社前に原稿は渡されてはいたが、まさか一文一句とは思わなかった。毎日の研修終了後夜9時から睡眠時間を削って必死に覚える。辛かったが、関根はなんとか4日目で合格することができた。実は、この丸暗記は後でとても役に立った。原稿そのものがとても完成度の高いセールストークで、営業現場に配属されてからの商談の場で、ここで覚えた言葉がスラスラ出てきたのだ。文章を音読しながら丸暗記するやり方は、元々日本にある勉強法だが、若い時期に質の高い文章をしっかり記憶に刻むことはとても意味があると思う。このセールストークは関根にとって一生モノとなった。
4週目からは、またあの辛い実習だ。今度は真夏の名古屋。名古屋駅前の雑居ビルを軒並み飛び込み訪問する。今度は、名刺回収ではなく、自分たちが扱う事務機(主にコピー機)を1週間試しで使ってもらう許可を得ることが目的だ。新型のコピー機を使ってもらうと、お客様もつい新しい機械が欲しくなってしまうことがある。これを狙って、とにかく使ってみてくださいと頼み込む。このお試し使用のことをヤマトビジネスマシンでは、「持込みデモ」と言った。
しかし、名刺回収もできない営業マンに簡単に持込みデモの許可がいただけるわけがない。名古屋の実習も成果の出ない辛い日々となった。本心では売りたいのに、「買わなくていいですから、とにかく1週間使ってください」とお客様に頼み込む。なんか後ろめたい。実習先の名古屋営業所のマネジャーからは「持込みデモは軽くとって、重く持って行くんだ」とか言われる。ウソをついているようで益々気が引ける。毎日「お願いします」と言ってひたすら頭を下げ続ける。入社式の時に思った大手町を闊歩する未来の自分とは程遠い世界だった。持込みデモは1件だけ取れたが、マネジャーから言われた通り、持ち込みデモの時に重々しく振る舞ったら、お客様からは「見るだけでいいと言ったじゃないか!」と釘を刺される。もちろん商談にはならず、搬出した。成約はないまま名古屋での実習は終わった。
研修所に戻ると、既にコピー機を売ったメンバーが何人もいた。関根は大いに動揺した。「俺は持込みデモもろくに取れないでいるのに、売れちゃう奴もいるのか」。なんと、初めの実習でパチンコ屋で名刺回収した奴は2台も売って、自慢しまくっていた。
関根の頭の中では「就職先を間違えたかなー」の言葉がグルグル巡った。
≪Release Date 2022/04/23≫